Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
アンコール🎉アンコール🎉来村先生アンコール🎉🎉🎉っと思ったらシーズン3のご案内でとっtrも嬉しい☺️近畿文化会のご協力うれぴい❤さて、梅前先生はお気づきでしょうか?豪雨ユーチューバーの名を欲しいままに大活躍の梅前先生ですが来村先生とのロケの時は何時もとっても晴れ☀️晴れ男の来村先生はお天道様にも人気講師でいらしたのですね凄い🎉🎉🎉
>来村先生とのロケの時は何時もとっても晴れ確かに! おっしゃる通り、来村先生との撮影の日は晴れですね。(シーズン1の時は晴れすぎて暑すぎて撮影終了後みんなでかき氷をかっこんじゃいました)さてさて、次のシリーズはどうなりますことやら……(≧▽≦)
今年のかき氷🍧も、めちゃ美味になると予想されます🤓水分補給で頑張って下さい😊
素晴らしいシリーズをありがとうございました。とても勉強になったと同時に、新たな飛鳥の楽しみを教えてくださり感謝しています。学生時代に地理学専攻していましたが、シリーズを通して考古学と地理学の融合に触れたような気がしました。これまで巡った古墳も、次に訪れた時にはきっと違う風景に見えるんだろうな…と、今から心を弾ませています。
>学生時代に地理学専攻していましたが、シリーズを通して考古学と地理学の融合に触れたような気がしました。そうおっしゃっていただけて嬉しいです。そうなんです、地理と歴史は深く関わっているんですよね。特に古墳の造営場所に関しては地形を見ることが大切だと、私も今回の来村先生のお話で気が付かされました。終末期古墳がどのような地形の場所に築かれたのかについては、来村先生のご著書「上下する天文」に詳しく書かれていますので、ご興味ありましたらぜひ。
いつも興趣あふれる動画をありがとうございます。 春節も過ぎ、いよいよ春です。 春の到来とともに、動画を参考にして、飛鳥を逍遥したい。 (CAM)
コメントありがとうございます。春も近いですね。ぜひ飛鳥にお出かけください♪
飛鳥は物語の舞台のようで、平凡な田舎の風景を満ちていて、何かアンビバレントやパラドックス的な魅力を感じますね。
>飛鳥は物語の舞台のようで、平凡な田舎の風景を満ちていて、何かアンビバレントやパラドックス的な魅力を感じますねおっしゃる通り、飛鳥は何もない場所ですが、その分、想像力の翼を羽ばたかせることができる場所でもあります。歴史好きにはたまらない場所です♪
小山田古墳の埋葬者論争、梅山古墳/丸山古墳の埋葬者論争と並ぶ、飛鳥の古墳の最大級のミステリーですよねー🧐いつか、決着がつくのかな?今回のシリーズもとても楽しく、勉強になりました。次回も楽しみにしています☺️
いつもありがとうございます♪おっしゃる通り、小山田古墳の被葬者論争は、平田梅山古墳と五条野丸山古墳と並ぶ「謎」ですよね。今後の研究に期待したいところですが、それをめぐってあーだこーだ言い合うのもまた楽し、と思っています。また素敵なお写真見せてくださいね♪
近畿文化会 臨地講座コース、夢中です。特別解錠の中とか、貴重な映像有り難うございます。映像、解説、書籍にでも纏めていただけたら嬉しいですけど。勝手な希望です。梅前様常時御拝顔コース、楽しいです。
嬉しいコメントありがとうございます♪近畿文化会臨地講座のシリーズは、先生方のお話がわかりやすくて面白くて、私も編集作業が楽しいです(^-^)
いつもありがとうございます。新鮮&気楽に飛鳥関連の動画が見れる素晴らしいチャンネルです!今回の滑谷岡、大変勉強になりました。ずっと「滑谷岡」って、どこやろ・・・と思ってましたが、来多村先生の説は説得力ありますね。またいつか機会がございましたら舒明天皇陵も取材していただければうれしいです。尚、小山田古墳の現説の動画及び最新の舒明陵(榛原石の話題含む)をRUclipsにアップしていますので、宜しければご覧いただければうれしいです。
こちらこそご視聴いただき光栄です。舒明天皇陵、行ってみたいのですがまだ一度も行ったことがないんですよね。「大和の古墳チャンネル」さんの動画を見ながら、いつか行ってみたいと思いを馳せる日々です。
丁寧な動画配信、いつもありがとうございます。個人的にはまだ「古墳ではなく遺跡」の可能性もありなのではないかと考えています。古墳ならば来村先生の仰るように舒明天皇の初葬墓かなぁ…って思いますが、菖蒲池古墳を境部摩理勢親子の墓と考えていますので「隣に舒明天皇か?」と迷うところです。でもあーでもないこーでもないと考えるのも楽しかったりして、古代への興味は尽きないです。今回のシリーズでは来村先生のお話を伺えるという貴重な機会をいただきました。本当にありがとうございます。
>個人的にはまだ「古墳ではなく遺跡」の可能性もありなのではないかと考えています。動画の中には入れなかったのですが、来村先生のお話では「小山田遺跡」の中に「小山田古墳」がある、とのことでした。あの高台はいろいろなことに利用されていた形跡があり、そのうちのひとつが、先年発見された古墳だった、ということのようです。大規模な古墳がなぜ早いうちに削平されてしまったのか(すぐに別の用途に利用されるようになったのか)謎が多い古墳(遺跡)ですよね。おっしゃるように、菖蒲池古墳が境部臣摩理勢親子の墓だったとすると、舒明天皇は蘇我蝦夷によって立てられた大王ですから、そこに近い場所に葬られたというのも十分あり得る話だと思います。
ありがとうございます。なるほど梅前先生の仰る通り。確かに初葬墓は蘇我蝦夷によると考えられますね。後々それが嫌になって段ノ塚に改葬されたんでしょうか?人の思惑も当時から色々とあるんですね。何か人って昔も今もあまり変わってないのかもしれません。
私自身はいまだに小山田遺跡の可能性を考えています。古墳なら古墳ですごく興味深いです。どちらにしても、今後の発見に期待です。(^^)
>私自身はいまだに小山田遺跡の可能性を考えています。おっしゃる通りです。あの遺構で「これは古墳!」と断じてしまっていいのか。まあ、専門家の先生方の意見なので、ちゃんとしたエビデンスがあるとは思うのですが……。(でもちょっとひっかかってます)
歴史ロマンですねー💕 悠久の昔 時の権力者や人々がどのように生きていたのかと思いを巡らせるひと時をいただきありがとうございます😊 飛鳥は美しいですね🏞️
コメントありがとうございます。おっしゃる通り、悠久の昔に思いを巡らせることが楽しいですよね。
最終回かーーーらーーーーのぅ〜〜next stage!
うふふ。次のシリーズはいかに? お楽しみに♪
古代の人々が土地を探して、地形を利用して工夫しながら築造した様子が想像できました。ありがとうございました。
>古代の人々が土地を探して、地形を利用して工夫しながら築造した様子が想像できました。おっしゃる通りです。ここがいいかな、あそこがいいかな、と探して、死者を悼んだのでしょうね。
いつも参考になる視点を教示頂きありがとうございます。以前から気にしてましたが来村先生の立姿、歩く姿が年齢を感じさせないのがさすがだなと感じてます。推測するに発掘でかなりの肉体労働を若い頃からなさってらした故、と思います。50年前、小生が在籍した大学の考古学専攻学生は土方(当時の表現です)のようで、真っ黒で体格の良い学生が多かった記憶があります。梅前さんのチャンネルに再登場、もしくは他の媒体でも注視してます、来村先生まってます。
おっしゃる通り、来村先生は歩くのも早いですし、姿勢もいいです。もちろん頭の回転も超高速です(笑)「いつ死んでもいいように後進を育てている」なんておっしゃっていますが、なんの、まだまだ何十年も行けそうです。
いつもありがとうございます。大和の古墳が大好きで、夏以外は一人でも出かけています。飛鳥の古墳は一人で行ける場所がほとんどなので何度も見学しました。先日は打上古墳にも行ってきました。そんなわけで、先生の解説が聞けるのは大変ありがたく思っています。ところで、先生のお話に対しての梅前様の相槌が非常に気になる時が多々あります。はいはいはいはい、えーえーえー・・・。梅前様のお話時と同じ音量で入ってくるので、時としては耳障りに感じることもあります。ご一考いただけると嬉しいです。
お耳障りとのご指摘、大変申し訳ありません。他の方からも同様のお声を多くいただいております。次回の収録からは充分気をつけますが、マイクの音量は個別に調整できませんので、これ以上ご不快な思いをされないように、このシリーズの他の回はご視聴をお控え下さい。よろしくお願いいたします。ご指摘感謝申し上げます。
いつも楽しく拝見しております。 エネルギッシュなご活動に感服します。 願わくは講師のお話にかぶせるように「はい」、「なるほど」、「えー」などを連発されるのは控えていただけるとさらに視聴しやすくなると思います。
>講師のお話にかぶせるように「はい」、「なるほど」、「えー」などを連発されるのは控えていただけると他の方からも多数ご指摘いただきました。以降は気を付けております。不快な思いをさせて申し訳ありません。
同一地域に在る複数の前方後円墳の方向が、てんでバラバラの例がよくあります。せめて向きくらいそろえたらと思いますが、これは何故なんでしようか?
>同一地域に在る複数の前方後円墳の方向が、てんでバラバラの例がよくあります。せめて向きくらいそろえたらと思いますが、これは何故なんでしようか?なるほど、おっしゃる通り、バラバラの向きの所ありますね。素人考えですが、古墳は尾根筋を利用して築造することが多いので、尾根の流れ(っていうんでしょうか)の方向に向いてしまうのかもしれません。佐紀古墳群の古墳が、ほぼ同じ方向を向いているのは、利用している尾根が皆、北側の丘陵から延びてきているからのような気がします。今度来村先生に聞いてみますね。
@@umemaeSakiko 様 そう云えば、陵「みささぎ」とは、半島状の尾根筋「みさき―岬」を切断した名残とか?!
そうなんですね!貴重なご教示ありがとうございます。
位置関係はわかりませんが蘇我蝦夷の墓、もしくは邸宅のそばにじょ明天皇の墓を作ったが蘇我氏の横暴がめにあまるので別の地に墓を作った、そのあと乙巳の変が起こった、と考えられなくもないと思うのですが。。
>蘇我蝦夷の墓、もしくは邸宅のそばにじょ明天皇の墓を作ったが蘇我氏の横暴がめにあまるので別の地に墓を作った、そのあと乙巳の変が起こった、と考えられなくもないと思うのですが。。ありえますよね。舒明天皇をなぜ改葬せねばならなかったのかについてはいろいろな理由が考えられますが、おっしゃる通り、蘇我の勢力圏だった甘橿丘から移したかったということも十分ありえると思います。
@@umemaeSakiko さんありがとうございます。やはりありうる、ですね。
アンコール🎉アンコール🎉来村先生アンコール🎉🎉🎉っと思ったらシーズン3のご案内でとっtrも嬉しい☺️近畿文化会のご協力うれぴい❤
さて、梅前先生はお気づきでしょうか?豪雨ユーチューバーの名を欲しいままに大活躍の梅前先生ですが来村先生とのロケの時は何時もとっても晴れ☀️晴れ男の来村先生はお天道様にも人気講師でいらしたのですね凄い🎉🎉🎉
>来村先生とのロケの時は何時もとっても晴れ
確かに! おっしゃる通り、来村先生との撮影の日は晴れですね。(シーズン1の時は晴れすぎて暑すぎて撮影終了後みんなでかき氷をかっこんじゃいました)
さてさて、次のシリーズはどうなりますことやら……(≧▽≦)
今年のかき氷🍧も、めちゃ美味になると予想されます🤓水分補給で頑張って下さい😊
素晴らしいシリーズをありがとうございました。とても勉強になったと同時に、新たな飛鳥の楽しみを教えてくださり感謝しています。学生時代に地理学専攻していましたが、シリーズを通して考古学と地理学の融合に触れたような気がしました。これまで巡った古墳も、次に訪れた時にはきっと違う風景に見えるんだろうな…と、今から心を弾ませています。
>学生時代に地理学専攻していましたが、シリーズを通して考古学と地理学の融合に触れたような気がしました。
そうおっしゃっていただけて嬉しいです。そうなんです、地理と歴史は深く関わっているんですよね。特に古墳の造営場所に関しては地形を見ることが大切だと、私も今回の来村先生のお話で気が付かされました。終末期古墳がどのような地形の場所に築かれたのかについては、来村先生のご著書「上下する天文」に詳しく書かれていますので、ご興味ありましたらぜひ。
いつも興趣あふれる動画をありがとうございます。 春節も過ぎ、いよいよ春です。 春の到来とともに、動画を参考にして、飛鳥を逍遥したい。 (CAM)
コメントありがとうございます。春も近いですね。ぜひ飛鳥にお出かけください♪
飛鳥は物語の舞台のようで、平凡な田舎の風景を満ちていて、何かアンビバレントやパラドックス的な魅力を感じますね。
>飛鳥は物語の舞台のようで、平凡な田舎の風景を満ちていて、何かアンビバレントやパラドックス的な魅力を感じますね
おっしゃる通り、飛鳥は何もない場所ですが、その分、想像力の翼を羽ばたかせることができる場所でもあります。歴史好きにはたまらない場所です♪
小山田古墳の埋葬者論争、梅山古墳/丸山古墳の埋葬者論争と並ぶ、飛鳥の古墳の最大級のミステリーですよねー🧐
いつか、決着がつくのかな?
今回のシリーズもとても楽しく、勉強になりました。次回も楽しみにしています☺️
いつもありがとうございます♪
おっしゃる通り、小山田古墳の被葬者論争は、平田梅山古墳と五条野丸山古墳と並ぶ「謎」ですよね。今後の研究に期待したいところですが、それをめぐってあーだこーだ言い合うのもまた楽し、と思っています。
また素敵なお写真見せてくださいね♪
近畿文化会 臨地講座コース、夢中です。特別解錠の中とか、貴重な映像有り難うございます。映像、解説、書籍にでも纏めていただけたら嬉しいですけど。勝手な希望です。
梅前様常時御拝顔コース、楽しいです。
嬉しいコメントありがとうございます♪
近畿文化会臨地講座のシリーズは、先生方のお話がわかりやすくて面白くて、私も編集作業が楽しいです(^-^)
いつもありがとうございます。新鮮&気楽に飛鳥関連の動画が見れる素晴らしいチャンネルです!今回の滑谷岡、大変勉強になりました。ずっと「滑谷岡」って、どこやろ・・・と思ってましたが、来多村先生の説は説得力ありますね。またいつか機会がございましたら舒明天皇陵も取材していただければうれしいです。尚、小山田古墳の現説の動画及び最新の舒明陵(榛原石の話題含む)をRUclipsにアップしていますので、宜しければご覧いただければうれしいです。
こちらこそご視聴いただき光栄です。舒明天皇陵、行ってみたいのですがまだ一度も行ったことがないんですよね。「大和の古墳チャンネル」さんの動画を見ながら、いつか行ってみたいと思いを馳せる日々です。
丁寧な動画配信、いつもありがとうございます。
個人的にはまだ「古墳ではなく遺跡」の可能性もありなのではないかと考えています。古墳ならば来村先生の仰るように舒明天皇の初葬墓かなぁ…って思いますが、菖蒲池古墳を境部摩理勢親子の墓と考えていますので「隣に舒明天皇か?」と迷うところです。でもあーでもないこーでもないと考えるのも楽しかったりして、古代への興味は尽きないです。今回のシリーズでは来村先生のお話を伺えるという貴重な機会をいただきました。本当にありがとうございます。
>個人的にはまだ「古墳ではなく遺跡」の可能性もありなのではないかと考えています。
動画の中には入れなかったのですが、来村先生のお話では「小山田遺跡」の中に「小山田古墳」がある、とのことでした。あの高台はいろいろなことに利用されていた形跡があり、そのうちのひとつが、先年発見された古墳だった、ということのようです。大規模な古墳がなぜ早いうちに削平されてしまったのか(すぐに別の用途に利用されるようになったのか)謎が多い古墳(遺跡)ですよね。おっしゃるように、菖蒲池古墳が境部臣摩理勢親子の墓だったとすると、舒明天皇は蘇我蝦夷によって立てられた大王ですから、そこに近い場所に葬られたというのも十分あり得る話だと思います。
ありがとうございます。なるほど梅前先生の仰る通り。確かに初葬墓は蘇我蝦夷によると考えられますね。後々それが嫌になって段ノ塚に改葬されたんでしょうか?人の思惑も当時から色々とあるんですね。何か人って昔も今もあまり変わってないのかもしれません。
私自身はいまだに小山田遺跡の可能性を考えています。古墳なら古墳ですごく興味深いです。どちらにしても、今後の発見に期待です。(^^)
>私自身はいまだに小山田遺跡の可能性を考えています。
おっしゃる通りです。あの遺構で「これは古墳!」と断じてしまっていいのか。まあ、専門家の先生方の意見なので、ちゃんとしたエビデンスがあるとは思うのですが……。(でもちょっとひっかかってます)
歴史ロマンですねー💕 悠久の昔 時の権力者や人々がどのように生きていたのかと思いを巡らせるひと時をいただきありがとうございます😊 飛鳥は美しいですね🏞️
コメントありがとうございます。おっしゃる通り、悠久の昔に思いを巡らせることが楽しいですよね。
最終回
かーーーらーーーーのぅ〜〜
next stage!
うふふ。次のシリーズはいかに? お楽しみに♪
古代の人々が土地を探して、地形を利用して工夫しながら築造した様子が想像できました。ありがとうございました。
>古代の人々が土地を探して、地形を利用して工夫しながら築造した様子が想像できました。
おっしゃる通りです。ここがいいかな、あそこがいいかな、と探して、死者を悼んだのでしょうね。
いつも参考になる視点を教示頂きありがとうございます。以前から気にしてましたが来村先生の立姿、歩く姿が年齢を感じさせないのがさすがだなと感じてます。推測するに発掘でかなりの肉体労働を若い頃からなさってらした故、と思います。50年前、小生が在籍した大学の考古学専攻学生は土方(当時の表現です)のようで、真っ黒で体格の良い学生が多かった記憶があります。梅前さんのチャンネルに再登場、もしくは他の媒体でも注視してます、来村先生まってます。
おっしゃる通り、来村先生は歩くのも早いですし、姿勢もいいです。もちろん頭の回転も超高速です(笑)
「いつ死んでもいいように後進を育てている」なんておっしゃっていますが、なんの、まだまだ何十年も行けそうです。
いつもありがとうございます。大和の古墳が大好きで、夏以外は一人でも出かけています。飛鳥の古墳は一人で行ける場所がほとんどなので何度も見学しました。先日は打上古墳にも行ってきました。そんなわけで、先生の解説が聞けるのは大変ありがたく思っています。
ところで、先生のお話に対しての梅前様の相槌が非常に気になる時が多々あります。はいはいはいはい、えーえーえー・・・。梅前様のお話時と同じ音量で入ってくるので、時としては耳障りに感じることもあります。ご一考いただけると嬉しいです。
お耳障りとのご指摘、大変申し訳ありません。他の方からも同様のお声を多くいただいております。次回の収録からは充分気をつけますが、マイクの音量は個別に調整できませんので、これ以上ご不快な思いをされないように、このシリーズの他の回はご視聴をお控え下さい。よろしくお願いいたします。ご指摘感謝申し上げます。
いつも楽しく拝見しております。 エネルギッシュなご活動に感服します。 願わくは講師のお話にかぶせるように「はい」、「なるほど」、「えー」などを連発されるのは控えていただけるとさらに視聴しやすくなると思います。
>講師のお話にかぶせるように「はい」、「なるほど」、「えー」などを連発されるのは控えていただけると
他の方からも多数ご指摘いただきました。以降は気を付けております。不快な思いをさせて申し訳ありません。
同一地域に在る複数の前方後円墳の方向が、てんでバラバラの例がよくあります。せめて向きくらいそろえたらと思いますが、これは何故なんでしようか?
>同一地域に在る複数の前方後円墳の方向が、てんでバラバラの例がよくあります。せめて向きくらいそろえたらと思いますが、これは何故なんでしようか?
なるほど、おっしゃる通り、バラバラの向きの所ありますね。
素人考えですが、古墳は尾根筋を利用して築造することが多いので、尾根の流れ(っていうんでしょうか)の方向に向いてしまうのかもしれません。佐紀古墳群の古墳が、ほぼ同じ方向を向いているのは、利用している尾根が皆、北側の丘陵から延びてきているからのような気がします。今度来村先生に聞いてみますね。
@@umemaeSakiko 様 そう云えば、陵「みささぎ」とは、半島状の尾根筋「みさき―岬」を切断した名残とか?!
そうなんですね!貴重なご教示ありがとうございます。
位置関係はわかりませんが
蘇我蝦夷の墓、もしくは邸宅のそばにじょ明天皇の墓を作ったが蘇我氏の横暴がめにあまるので別の地に墓を作った、そのあと乙巳の変が起こった、と考えられなくもないと思うのですが。。
>蘇我蝦夷の墓、もしくは邸宅のそばにじょ明天皇の墓を作ったが蘇我氏の横暴がめにあまるので別の地に墓を作った、そのあと乙巳の変が起こった、と考えられなくもないと思うのですが。。
ありえますよね。舒明天皇をなぜ改葬せねばならなかったのかについてはいろいろな理由が考えられますが、おっしゃる通り、蘇我の勢力圏だった甘橿丘から移したかったということも十分ありえると思います。
@@umemaeSakiko さん
ありがとうございます。
やはりありうる、ですね。